Life Is A Rock - 洋楽こそ我が人生
洋楽全般について、英米ヒット・チャートに登場有無に関係なく、お気に入りの洋楽作品についての独り言やコメントをつれづれに掲載します。「新旧お宝アルバム!」「恒例グラミー賞大予想」など定期コラムが中心です。洋楽 ファンサイト、meantime(www.meantime-jp.com)のスピンオフ企画としてお楽しみ下さい。
追悼ポール・カントナー〜さらば、宇宙船の基幹操縦士〜
 下記は先ほどFacebookにアップしたもの。備忘録として自分のブログにもアップしておくことにしました。今年はホントに重い訃報が多くて気が重い。まだ1月だというのにね。

2016年の訃報ラッシュ、今度はJefferson Airplane/Jefferson Starshipのギタリストで創設メンバーの一人、ポール・カントナーが逝ってしまった。これもボウイグレン・フライ同様、大きく一つのロックの世紀の終わりを象徴する事件だと思う。心よりご冥福をお祈りする。

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当然自分は1967年の「Summer Of Love」も、1969年のウッドストックも、まだ神秘的でスリムな美人ボーカルだったグレイス・スリックが歌う「Somebody To Love(あなただけを)」がヒットした頃のジェファーソン・エアプレインを知るわけはない。でも洋楽を聴き始めた頃から、ラジオで60年代末から70年代初頭にかけてのロックが文化的パワーを噴出させた時代を取り上げる時、必ずジャニスジミヘンと一緒にあのグレイスのパワフルなボーカルを聴いていたので、あの曲は耳にとても馴染んでいる。

そこで出会ったのがトップ40と、そこで何と飛行機から宇宙船にグレードアップした彼らがヒットさせていた「Miracles」「With Your Love」といったマーティ・バリンの曲。そして名盤『Earth』のヒットでジェファーソン・スターシップは僕と同時代のロック・バンドとして生き生きと活動していた。そこでいつも黙々とギターを弾いていたのがポール・カントナーだった。


JeffersonStarship Earth

ポールはもっとブルースなロックをやりたかったジャック・キャサディヨーマ・コーコネンエアプレインを抜けてホット・ツナを結成したことで飛行機が宇宙船になった時も、1978年に創設同志のマーティ・バリンが抜けてミッキー・トーマスに変わって、サウンドが次第次第にシンセロックっぽくなっていった時も宇宙船の基幹操縦士であり続けたのだけど、ミッキーグレイスが次第にバンド・コントロールを取るようになり、ついに1984年のアルバム『Nuclear Future』を最後に宇宙船離脱。

その後実は全く知らなかったのだが、1990年頃にはグレースクレイグ・チャキーソ(かつてポールが宇宙船にグレードアップする時にスカウトしたギタリスト)ら宇宙船のオリジナル・メンバー全員が脱退してミッキー・トーマス・バンドとなってしまったスターシップをよそに、ポールは1992年に宇宙船を再結成して基幹操縦士となっていたのだ。まるで『フォースの覚醒』でミレニアム・ファルコン号で華々しく再登場するハン・ソロのようではないか。彼は昔の盟友、ジャック・キャサディパパ・ジョン・クリーチ(惜しくも1994年に没)に若いメンバーを加えて2枚のオリジナルアルバムの他5枚ものライブアルバムをリリースしていたらしいのだ。

JeffersonStarship-DeepSpaceVirginSky.pngJeffersonStarship-WindowOfHeaven.jpgJeffersonStarship-TreeOfLiberty.jpg

その2枚のオリジナルアルバム(上の右2枚)と、ライブも是非聴いてみようと思っている。最後まで、宇宙船の基幹操縦士として本来あるべき、そして僕が70年代後半〜80年代初頭にかけて親しんだ同時代のあのロック・バンドを操縦し続けようとしたポールの最後のレガシーをちゃんと受け止めるために。

R.I.P., Paul - you're definitely one of the rock's heroes and we all thank you for your accomplishments as the chief pilot of Jefferson Starship.


ビルボード誌のポール・カントナー訃報記事はここから読めます(英語)。

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Barakan Evening Vol. 2に行ってきました。
 既にFB等では報告済みですが、今週の水曜日、4月22日に代官山の「晴れたら空に豆まいて」(という名のライブハウスです。面白いネーミングですよね)で開催されたイベント「Barakan Evening Vol. 2」に行って来ました。

BarakanEvening2.jpeg 


ピーター・バラカンさんについては、その独自の音楽に対する趣味やスタンス、それを表現するラジオやTVでの活動の様子、ひいてはインターFMで「Barakan Morning」を人気番組にしながら、局との方針の違い?で執行役員を外れるなど、優れた洋楽の日本での普及を推し進めるその気骨ぶりには従来から共感を覚えてきました。そんなところで今月日経夕刊でバラカンさんが「ラジオという媒体を通じてあまり陽の当たることのない、しかし優れた音楽をより多くの人々に届けるのが自分のパッション」といった内容の四回連続コラムを連載したのを読んで、自分の考えていることと同じじゃん!と感動。興奮してバラカンさんに思わず自分のこれまでの活動と思いを綴ったメールを書き、22日のイベント(すでに前売りは完売だった)で会えれば、と送ったところ「当日券もあるからおいで。もし入れたら声かけて」と涙の出るような優しい返信を頂いたので、いそいそと行って来ました。一応イベント告知サイトに、当日のリクエストやメッセージを受け付けるリンクがあったので、メールとリクエスト(Lake Street Diveの「Bad Self Portrait」)を送っておいたのが、今から思うと大正解。

事前に電話で当日受付開始が6時からと聞いていたので、5時50分頃に現地に着いたら、既に3人ほどのかたが並んでいて、バラカンさんの人気ぶりを実感。しかしうちお一人は前売り予約済みの方ということで当日整理券番号#3をゲット。1時間ほど開始まで時間を潰し、19時半からの開始ちょっと前に会場に戻ったところ、既に会場内からはインターFMバラカンさんの人気番組だった「Barakan Morning」の再現よろしくオープニングの音楽と歓声が。何とか1曲目(ポール来日にちなんで、Dr. Johnの「Let 'Em In」w)が終わるあたりで会場に入場できてラッキー、と思っていたら、いきなり聴き覚えのあるドラムスのイントロが。やった!自分のリクエストがかかった!と年柄もなく大喜び。回りのお客さんの何人かもLake Street Diveの「Bad Self Portrait」にノリノリになって喜んでくれたのが、自分のことのように嬉しかったなあ。ある方からは終わった後に「ボニー・レイットみたいですね!」と言われてホントにそうだなあと。

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曲が終わってバラカンさんが「Lake Street Diveという僕も知らなかったグループの曲です」と紹介、「番組やっていた頃はこうしてリスナーから知らない音楽を教えてもらえてたけど最近はそれも少なくなり残念」とやった後、何と僕のメールを読んでくれてるではないの。このグループを知ったのはUS留学中の娘がSpotifyで聴いて気に入って、僕に教えてくれたのがきっかけ、というエピソードも読んでもらって更に興奮。その上バラカンさんが「阿多さん、会場にいますか?」と声をかけてくれて、思わず飛び上がって手をあげた私。いい年してよくやったなあ。でもこれで来た甲斐があった、と真剣嬉しかったね。

その後も往年の「Barakan Morning」さながら、稲葉智美さんの読み上げるニュースや天気予報などもフィーチャー、UK音楽誌『Mojo』に掲載のウィルコ・ジョンソンのハジレコや数々のバラカンさんらしい楽曲を次々にプレイ、好きなアルバムなどから楽曲をかけたり、アイリッシュ音楽の日本人のスリーピースバンド、トリコロールによる素晴らしいアイリッシュ音楽のライブなどをはさみ、最後は「Barakan Morning」の最後にかけたという「We'll Meet Again」のインク・スポッツバージョンをプレイ。そのフェードアウトにかぶせてバラカンさんが「この曲、She & Himのバージョンもあって、今日持ってきてるんだけどかけようかな、どうしようかな」と言い出したので、
ゾウイー・デシャネル(映画『Almost Famous』(ペニーレーンとあの頃)での主人公のお姉さん役や最近TVシットコム『New Girl』に主演している女優で、She & Himの片割れ)が好きな僕は思わず「お願いします!」と叫んでしまった。その声を聴いてバラカンさんが「よし、じゃかけよう」と言ってかけてくれたのも嬉しかった。多分She & Himの最新アルバム『Classics』(買わなきゃなあ)からのカットだと思うけどリンク・レイあたりの昔のアルバムみたいな残響の強い音像が印象的なバージョンでよかった。最後はこれも番組では定番だったらしい、ドビー・グレイの「Drift Away」(明日なきさすらい)。これは僕も大好きなナンバーですが、会場の一部はサビを大合唱で大盛り上がりの中でイベント終了。

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終了後、事前に自分が作ったプレイリストを焼いたCDを持ってバラカンさんにお礼かたがた話しかけたところ、とても柔和に応対してもらい、自分が優れたしかしなかなか広く知られていない洋楽をバラカンさん同様広めていきたい、若い世代には古いけどいい音楽を、年配の世代には今の新しいけどいい音楽を、広める機会を作るようなイベントをやって行きたい、と夢を語ったところ「何か手伝えることがあったら言って下さい」とありがたいお言葉を頂きました!

次回「Barakan Evening Vol. 3」は7/15、ゲストはあの!鮎川誠氏ということで大ブルース大会が予想されますが、こちらの前売り予約を今度は会場で素早く登録して、心暖かい気持ちで帰途についたのでした。次回が早くも楽しみです。
バラカンさん鮎川さん450 


2015/3/28 King Bee DJ - The Blacks Cover White
この記事、とっくの昔にアップしてたつもりでしたがどうも上がってなかったようなので、改めてアップします。やや日が経ってしまって寝ぼけた感じになってるのはご勘弁を。今日は4月のKing BeeのDJナイトに参加予定なので、またアップします。

今日(3/28)は月一の新橋King BeeのDJナイト。今月のお題は「Black Covers White」ということで黒人による白人曲カバーをかけるという趣向。ちょうど20年ほど前に洋楽ファンサークルmeantimeのオフ会で「Oreo's Jam」っていうタイトルでやったDJと全く同じテーマだったのでその時のプレイリストを一部使いながらなかなか楽しいDJができました。以下はセトリ。(〜以降は作者)

1. She's Gone - Tavares (1974)〜Daryl Hall & John Oates
2. Hello It's Me - Groove Theory (1995)〜Todd Rundgren
3. You've Got A Friend - Donny Hathaway (1972)〜Carole King
4. Walking In The Rain - Grace Jones (1981)〜Harry Vanda & George Young (Easybeats/Flash & The Pan)
5. Crazy - Hot House (1988)〜Willie Nelson
6. You Belong To Me - Chaka Khan f/ Michael McDonald (2007)〜Michael McDonald & Carly Simon
7. How Deep Is Your Love - Portrait (1992)〜B., R. & M. Gibb
8. A Song For You (Live From Welcome Home Heroes) - Whitney Houston (1991)〜
Leon Russell

ちなみにHot Houseは後にMピープルのリードボーカルで90年代初頭のUKクラブシーンでブレイクするHeather Smallがいた凄いポップでアーシーなUKソウルグループ。この曲が入ったアルバム「South」は結構オススメです。

HotHouse_South.jpg 

ラストにかけた、ホイットニーの「A Song For You」。これは昨年リリースされた、彼女のキャリアを俯瞰するライブ音源とDVDセットの『Whitney Houston Live: Her Greatest Performances』からのナンバーでしたが、これが素晴らしい盛り上がりの感動的パフォーマンスで、観客の一部の方は思わず涙ぐむ場面も。このアルバム+DVD、全てのブラック・ミュージック・ファンはmust haveの名盤ですよ!

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11/15 新橋King Bee「KBディスコ」DJしました。
さてさてここのところ月例で新橋のソウルバー、King BeeさんでアマチュアDJイベントに参加させてもらってますが、去る11/15にKBディスコに参加、80年代ダンス・ミュージックをかけまくりました。その際のセットリストをアップします。いやあ久しぶりに掛けまくる80年代ダンスフロア・チューンの数々、六本木ナヴァーナあたりに通った頃が懐かしく思い出されましたね。ということで第一巡のセットリスト。

Opening: Sun Goddess - Ramsey Lewis / Spirng Rain - Silvetti


1. Looks Aren't Everything - Cherelle
2. Medley: Innocent / Alex 9000 / Innocent II - Alexander O'Neal
3. Walking Into Sunshine - Central Line
4. Friends - Shalamar
5. Forget Me Nots (12" Version) - Patrice Rushen
6. Controversy - Prince
7. Don't You Want Me (Instrumental Remix) - The League Unlimited Orchestra
8. Saturday Saturday Night - Zoom
9. Kickin'  Back - L.T.D.
10. Mama Used To Say (12" Version) - Junior

何しろトップバッターの前座DJだったので、最初の頃はお客様も少なく黙々かける、という感じだったけど、L.T.D.ジュニアで持ち時間の45分をフィニッシュする頃にはお客様も増えてきて、結構盛り上がってもらえたのでなかなか気持ちよかった。80年代にフロアでよく耳にした、熱いチューンが並べられて久しぶりに血が騒ぐという感じであった。

この後3人の常連DJの皆さんが回したあと、回ってきた2巡目ではちょっと趣向を変えてUKダンス・チューンのモジョ(実はフランスのユニット)からスタート。


1. Lady (Hear Me Tonight) (Original Mix) - Modjo
2. Boy Meets Girl - Haircut 100
3. Blue Monday (12" Version) - New Order
4. Don't Call Me Baby - Madison Avenue
5. It's Not Right But It's Okay (Dance Mix) - Whitney Houston
6. You Want This (Single Version) - Janet Jackson
7. Giving You The Benefit - Pebbles
8. Pump Up The Volume - M/A/R/R/S
9. Try Jah Love - Third World

UKで始めたんだけど、New Orderあたりでちょっとフロアの乗りがイマイチだったので、少しずつまた80年代R&B的トラックにシフトバックして、結局最後はサード・ワールドでとってもベタに盛り上がらせて頂きました(笑)。

ここのアマチュアDJイベントに毎月参加させてもらってますが、それとはまた違った感じで楽しかった!他の常連DJさんのDJタイムでは思い切り久しぶりに踊りまくってしまいました。これ、ちょっとクセになりそう。

テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽

ケイシー逝く
ケイシーが逝った。

先週、アメリカのニュースで、いよいよ最期の時が近づいたケイシーを安らかに見送るため、彼のいるホスピスに家族が集まり、医療措置を全てやめ、食事も水分も無理に供給するのをやめた(つまり自然死を迎えさせるためにあらゆる管の類を外した、ということだと思う)、という報道を見て「ああ、いよいよ最期の時が来たか」と思っていたので驚きはなかったが、やはりケイシーが逝った、という事実が確定すると寂しさと何ともいえない悲しさが襲ってきた。

思えば鹿児島の一中学生で、中央の情報など何もなかった頃、地元南日本放送の洋楽ラジオ番組「ユア・ヒット・パレード」で当時のアナウンサーDJだった横山欣二さん(彼は1973年、全米No.1ヒットながら日本シングル発売がなかったPaper Laceの「The Night Chicago Died」のシングルをアメリカ旅行の時に買って帰り、鹿児島の番組でかけまくり、その年の年間電リクランキングの1位にしたという鹿児島のディック・クラークにような人だった)がかけていた洋楽がほぼ唯一の洋楽情報ソースだった。そんな時音楽雑誌の小さな囲み記事で知ったラジオ関東(現ラジオ日本)の「全米トップ40」の存在。1976年5月、小出力だったラジオ関東の電波をキャッチしようと必死にラジオの周波数を合わせるも、すぐ横の超大出力の北京放送(笑)にかき消されて、土曜夜10時から1時の放送のうち、最初聞けたのはトップ3くらいだった(その時のNo.1はウィングスの「心のラブソング(Silly Love Songs)」)。ウィングスの軽快なNo.1ヒットと一緒に、深みのあるバリトンボイスで、ケイシーが「Keep your feet on the ground, and keep reaching for the stars!」と番組締めのセリフを発していた。

それが全ての始まりだった。

しばらく北京放送と周辺の電気機器が発する干渉雑音と格闘しながら(途中から毎週土曜日は、10時から家中の電気を消させてスカイセンサーの前にかじりついていた)どうにかトップ30まで聞き取れるようになった1976年8月、チャートをノートにつけはじめた。その時のNo.1はエルトン・ジョンとキキ・ディーの「恋のデュエット(Don't Go Breaking My Heart)」。やっと何とか40位全曲が聞けたのは9月、KC&ザ・サンシャインバンドの「シェイク・ユア・ブーティ((Shake, Shake, Shake) Shake Your Booty)」がNo.1で、40位内初登場曲がリンダ・ロンシュタットの「That'll Be The Day」、スティーヴ・ミラー・バンド「Rock'n Me」、ハート「Magic Man」など、という今思うと凄い週だった。その間も日本語版セグメントの湯川れい子先生のDJもさることながら、ケイシーのディープボイスと無茶苦茶わかりやすい発音の英語で、アーティストたちの様々な逸話やバックグラウンド情報を説明してくれるスタイルは僕を洋楽の虜に、いやヒットチャートカウントダウンの虜にしていった。

その後僕が英語に本気に興味を持ち、むさぼるように英語を吸収するようになったのは、高校時代のK先生の影響が大きい。そのK先生が英語の父とすると、全米ヒットチャートの目を向けてくれたケイシーは洋楽の父。この二人との出会いがなければ、僕もこんなに英語にハマることもなかっただろうし、今の多くの洋楽仲間や友達たちと巡り合うこともなかったし、また外資系企業への転職を真剣に決断することもなかっただろうことを考えると、この二人は僕の今の人生を形作ってくれた、人生の恩人だ。

報道によると家族は正しい尊厳死の手続きを取ってくれたようだ。なのでケイシーの最期の時は、家族に見守られ、多くのヒットソングファンにインスピレーションを与え続けた彼の素晴らしい人生に相応しい、安らかな最期であったようで、晩年報道されていた家族内の問題で残念な思いをしていたことを考えると、救われる気持ち。今頃彼は魂となって、今度は自分が「手を差し伸べよ」と言っていた星の仲間になって、我々世界中の洋楽、ヒット曲ファンを見守ってくれているに違いない。彼の素晴らしい業績を思い、今夜も静かに合掌したい。

ケイシー、ほんとうにありがとう。

これからも昔のヒット曲だけでなく、新しいヒット曲やそれ以外の洋楽曲を聴き続けていきます。近々洋楽仲間と集まって追悼をしたいなあ。そういう仲間たちと引きあわせてくれてありがとう。

Rest in peace...

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